講師対談


第2回 《ギリシア語・ラテン語の難しさ》



泰田: 半年ほど間があきましたが,今回の 2回目の対談では,言語のことについてお話をさせていただこうと思います.

 教室には,いま文法を勉強中の方,作品のいくつかを読んだことのある方がいらっしゃいます.それぞれにどう学び,どう理解するか,いろいろ悩んだり苦心したりしているかと思います.そこで 2回目の対談では,古典語の学習について,私たちの経験も踏まえてお話してみようと思います.

 まず,おそらく誰もが思うところとして,ギリシア語もラテン語も難しそうに見える,そしてまた実際に難しいということは避けて通れないことだと思います.半世紀以上にわたって古典語・古典作品の研究に携わってきた先生にとって,難しさをひと言で言うとすれば,どんなところでしょうか.

安西: ひと言で言うのは,少し乱暴すぎるかも知れませんので,いくつかに分けてお話してみましょう.
 まず,発音ですが,単語を構成する音韻(母音・子音)は,とくに難しいことはありません.ただ,二重母音と長母音を持っていることで,いくらか複雑なところがあります.ギリシア語とラテン語では,母音の連続をなるべく避けようとする傾向がかなりはっきりしています.連続する場合は,一方の母音を無いことにしたり,連続する母音を一つに合体するといった変化をします.細かく見ると複雑ですが,そのおかげで変化の足跡が見える形で保存されているとも言えます.
 次に,単語の変化についての説明をまとめて「形態論」と言いますが,これに目を移しますと,名詞,形容詞,代名詞,動詞は相当程度以上に複雑な変化をします.その上,ローマという単一の言語活動の中心地を持ったラテン語と違って,ほぼ数万人規模のポリス(都市国家)が独立と自由を主張した古典ギリシア語は,語の変化の地域差が極めて多様です.

泰田: ギリシア語もラテン語も,私たち日本人が学ぶ場合は,アイウエオの 5つの母音を区別すれば,基本的には問題ないですね.細かなことを言えば,「ア」に対応する英語の母音が何種類もあるように,母音も子音も言語によっていろいろな違いがあったりします.それでも,キケローを英語で「シセロゥ」と言ったりドイツ語で「ツィツェロ」と言ったりするように,ギリシア語やラテン語を英米人は英語風に,ドイツ人はドイツ語風に発音しているようです.ですので日本語風の発音になっても,大きな問題はありません.
 大切なのは母音の長短の区別をするということです.カタカナ表記などでは,長音符号「ー」が省略されたりもしますが,母音の長短の区別はアクセントの位置や韻文の理解のためにはとても重要なことですね.
 ところで,音韻や形態論の言語的な多様性に対して,古典語で書かれた作品については,何か特徴的なことが挙げられますでしょうか.

安西: ギリシア語の古典作品は,今言ったような形態論的な多様性を内に含んだ言語によって生み出されました.その作品の言語的特徴ですが,ほぼ 150年にわたる古典期の作家達の間で,それぞれが言語に関する独自性を意識した人たちによって作られた作品群は,ギリシアの主たるポリスとして,また文化の発信地としても大きな力を持っていたアテーナイ周辺に限っても言語的にかなり多様です.
 そして,その各作家が持つ言語的独自性・多様性は,今日の英語・ドイツ語・フランス語といった近代西欧諸語の場合と違って,ほぼそのままの形で表れていると言えます.近代の西欧語では,各言語は,それぞれの国民を統合し,国民の間での一体感を創出する一助となるべきものとしての役割をも担わされています.そのため中央政府は初等・中等教育に介入し,ともすれば多様なバリエーションが生じてしまう自国内の言語を学びやすく,使いやすく,また地域的な差異の少ない標準的な「まるい」ものにしたのです.それに対して,古典ギリシア語にはそうした力はなく,従って,言語も作品も独自なもの・多様なもののままだった,と言えるでしょう.

泰田: 古典語の学習は,英語・ドイツ語・フランス語などの近代語・現代語を学習するのと,何か違いをお感じになりますか.

安西: ギリシア語・ラテン語は格変化をする言語である点では,ドイツ語と似ています.英語には所有格としての「 ’s 」がありますが,英語もフランス語も,主に動詞との位置関係や前置詞によって格を示すようになっているため,語が格変化するということを意識することはないでしょう.
 その点ドイツ語は,文の構造を決める名詞・代名詞などの 4つの格がかなり整然とした活用体系を持つなど,英語・フランス語とは違って,格言語度は格段に高いです.しかしそれでも,文頭や文末に来れる語は限られており,その語順も相当程度確立されていると言えます.ところが,同じ格言語である両古典語は,語尾を格変化させることで,文を構成する各語に統語論的位置情報を備えさせている特性をそのまま反映して,語順はきわめてしなやかです.
 語と語の結合という概念があります.他動詞が目的語を支配するとき,動詞が前置されて目的語が後置される,あるいはその逆,というのが英語やフランス語から我々が得ている光景です.しかし,古典語では,どちらが前でどちらが後ろという位置関係にも制限がなく,支配語と被支配語は離れていてはいけないという距離に関する制限もありません.
 前置詞 (praepositio = preposition) というラテン語の品詞用語があります.被支配語の前に置かれるから前置詞という名なのですが,語の位置・語順について,唯一制限のある語たちだからこの品詞名で呼ばれるようになりました.語としてのそういう独自な特性を持っていたからこの名がついたというわけです.古典語は語順に関して自由であったことをその使用者でさえ自覚していた,その証左だと理解しています.
 このしなやかさは,しばしば,読解に際して読み手を混乱させ,「古典語は難しい」といった印象を与えてしまっています.私は,古典語の読解が易しい作業であるとは決して言いませんが,この語順のしなやかさが,古典語作品の音楽性を保証している事実の源泉であり,あるいは,作家達の意図を明確にするのに効果的な武器でもあった,と評価しています.

泰田: 「音楽性」という言葉が出てきましたが,ホメーロスなどの叙事詩やギリシア悲劇などは音節の長短の組み合わせをパターン化した韻文になっていますね.韻文の創作では,意味の上で適切な語彙を選ぶということだけでなく,語順の自由さを利用して,韻律のパターンに合わせて語の位置を決めるといったことも可能ですね.言語の構文的特性が,作品の文体や韻文としての形式にも関わっているという理解でよろしいでしょうか.

安西: そのとおりです.

泰田: 古典語の難しさについて,言語的な特徴や現代語との違いを教えていただきました.ほかに古典語について,特筆すべきことがあれば,お聞かせください.

安西: 古典作品が 2500年の時を越えて現代に伝わり,現在の私たち日本人にも読み継がれているのは,筆写伝承で,少なくとも 2000年分がカバーされているからです.隔週木曜に開いている「中世写本を読むクラス」も,この書写伝承の一端を是非共有したいという目的で開始されました.
 この筆写伝承にあたって,今日の紙の役割を果たしてきたのは,パピルスと羊皮紙です.これらは手作りで高価でした.古典語作品は,無駄を極端に省いた文体で書かれていますが,パピルスと羊皮紙が高価であったという筆写環境上の事実と無関係ではなかったと私は思っています.
 古典語各作家が自分の自筆本を作成したときも,この効果が影響したからか,難しいことは難しいですが,冗長を極端に嫌ったものになっています.このような古典語文の発する美は,このことと決して無関係ではなく,さらにまた近現代の,西欧語による作品文を貫いているこの古典語的美もそれと無関係ではないだろうと,私は思っています.

泰田: どうもありがとうございます.言語の性格についてある程度知っておくと,「敵を知り己を知れば」という感じで,抵抗感も和らぐかも知れません.また,日本語や英語などと大きく異なるところは,そこをよく学んで習熟を心がけるなど,乗り越えるべきポイントになるとも言えますね.

 ところで,今後の予定ですが,今日のお話の中に古典語・古典作品が手で書き写されて伝承されてきたということがありました.現代とは違って,古典作品の作家の自筆原稿は残されておらず,私たちはそれに基づいた出版物を読んでいるというわけではありませんね.ここには,「私たちはそもそも何を読んでいるのか」という根本的な問いがあると思いますし,この点が古典作品を難しくしている要素にもなっています.このあたりのことについてお話をしてみるのはいかがでしょうか.

安西: その点は,きわめて重要なテーマです.私もポイントを整理して,なるべく分かりやすくお話してみたいと思います.

泰田: 
よろしくお願いいたします.


(2024年12月)