講師対談


第1回 《今を生きる私たちと古代ギリシア・ローマ》


泰田: 新しい企画で,いろいろお話を伺うことになりました.よろしくお願いいたします. さっそくですが,この教室を開いた目的・理由は何か,教えていただけますでしょうか.

安西: もちろん古典語——ギリシア語・ラテン語——を教え,広めたいということがありますが,それだけでは答えにならないでしょうから,もう少し説明しないといけないでしょうね.

泰田: はい,お願いします.

安西: 教育の話になりますが,2007年ごろに大学の教育制度が改革されて,「教養教育」というものが行われなくなりました.大学が専門家・職業人を育成することに特化するようになって,それに直接結び付かないような学科や科目が削られていきました.大学が専門家を育成するのは,アタリマエみたいに聞こえますが,それまでは学部や大学院に進む前に,教養課程といって,文系・理系に関係なく幅広い分野の科目を履修しなければなりませんでした.
 ところが,教養教育の廃止によって,第二外国語はムダだとか,人文系の学問——とくに文学や哲学など——は「趣味の世界」みたいなものだと陰口を言われて,科目も教員も削減されました.「ギリシア語・ラテン語などは死語だ,もはや今日の社会生活には関係ない」などとされて,大きな大学であっても人文系の学科や専攻から西洋古典の講座をなくして,研究者を置かないようになりました.このようにして,大学教育の中で,教養としてギリシア語・ラテン語を学ぶことも,また専門的に西洋古典について学び研究することも,今ではごく一部の大学を除いては,ほとんどできなくなりました.
 前置きが長くなりましたが,そのようなことから,ギリシア語・ラテン語を学ぶ機会を世の中から無くしていけないという思いで,大学退職後も教室を開いて古典語教育を続けようとしているわけです.尤も,どちらかと言えば浅く広い方向を目指す教養と,どちらかと言えば狭くて深い方向を目指す専門性とのバランスは,現在のこの教室の少ない授業数の中では特長を出すのが難しいと感じてはいますが.

泰田: ありがとうございます.
 ところで,お話の中で,古代ギリシア・ローマのことは役に立たないからムダだといった意見も出てきました.忙しくまた高度に専門分化した現代社会において,例えば第二外国語あるいは第三外国語としてであっても,ギリシア語やラテン語を学ぶ必要性や価値については,世間一般にはなかなか理解されないのではないかとも思います.今日を生きる私たちにとって,西洋古典を学ぶ意義はどのようなものだとお考えになりますか.

安西: それは,ひと言で語るのはとても難しいことですが,いくつかポイントを挙げてみましょう.例えば,私たち日本人は今日,基本的には,西欧において近代市民社会という名とともに成立し,そこから世界に広がったところの社会や国家の運営方法を採用して現在を生きています.近代市民社会は,広がったとは言っても,その理念が定着し,民主主義が制度として安定して運用されている国家は,今なお多いとは言えません.
 さらに言うならば,西欧人が,ギリシア・ローマをいわば自分たちに共通の文化的祖先として崇め,正しく継承したと自負している様子が,古典古代に関わる彼らの発言には,見えますが,必ずしも正しく継承したとは言えない点も,20世紀から今世紀にかけて,様々なところで指摘されています.
 「正しい継承」については,もっと考えてみなければならないでしょう.いずれにしても,今日の日本の社会と古代ギリシア・ローマとは,ほとんど関係がないように思われるかも知れませんが,私たち日本人は,幕末からの複雑な歴史的経路を辿れば,古代ギリシア・ローマの文化——西欧人が理解した限りの,という限定は必要ですが——に端を発する世界を生きている,しかも,そういう点を自覚しないままに生きているのだ,ということになります.この点は押さえておくべきことだと思います.

泰田: 私たちは世界というものを,今の私たちの視点から見て「これが問題だ,あれを変えなければいけない」と論じがちですが,現在という断面からだけではなく,過去からの累積として世界を捉え,理解すべきだということになりますでしょうか.

安西: はい,そのとおりだと思います.簡単な例を挙げれば,民主政治・近代市民社会という話をしましたが,その「デモクラシー」という言葉は紀元前5世紀のギリシアに遡る政治・社会の運営方式に他なりません.こうした例からも,西欧の文化は古代ギリシア・ローマ世界と歴史的につながっていることが分ると思います.
 ギリシア語やラテン語を学ぶことは,西欧の文化をそうした歴史の重層性において捉えることを可能にし,その重層性が正しく重層されてきたかを,客観的に判断する大切な基礎知識になり得ます.そのような知識は,今日の私たちにとって,どのような国家・社会を運営していけば良いかを判断する際,無意味ではないと私は思っています.

泰田: どうもありがとうございます.古代ギリシア・ローマの文化が,実は現代の日本の社会の深層を成しているということが分りました.
 そのギリシア語・ラテン語は,学習が非常に難しく,大学の授業でも途中でやめてしまう人が少なくありません.次回は,古典語の学習や理解という点について,お話を伺ってみたいと思います.またよろしくお願いいたします.どうもありがとうございます.

安西: ありがとうございます.


(2024年6月)